信仰の体験談2 |
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(30代 女性) |
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私は39年前の冬に群馬県に生まれました。父と母はある事情から、駆け落ち同然で結婚しました。しかし結婚6か月後、家業が倒産して経済的に困難な状態に陥りました。他にも沢山の困難が続き、両親は救いを求めたのでしょうか、私が1歳の時に二人揃って洗礼を受けました。私が6歳の時に父方の祖母が脳溢血で倒れ、それから父と母は交代で病院に泊り込み祖母の看病を続け、4年間祖母は入院しました。私が10歳の時祖母は64歳の若さで亡くなりました。経済的にも、精神的にも、肉体的にも、両親は追い込まれていきました。そのため、両親はいつも疲れ果て、イライラしてケンカばかりしていました。両親の事情が良くわからない子どもの私には、クリスチャンなのに何故!という想いが常にありました。両親と一緒に教会に通い、ずっと教会学校に通っていた私ですが、間違ったクリスチャン像のようなものに支配され高校生になると自分から教会を離れて親に反発し、親の血を受けている自分を否定し続けました。しかし、そんな中である御言葉が私を支えてくれました。「恐れるな、私はあなたと共にいる。たじろぐな私があなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、私の義の右の手であなたを守る。」イザヤ書41章10節。これは中学生の時、教会学校の先生が誕生日に贈ってくださった御言葉でした。大学1年の時、後に夫となるNさんと出会いました。彼は親がケンカしているところを見たことが無い、私と正反対の家庭で育った人でした。大学4年の冬に阪神淡路大震災が起こり、母に勧められてボランティアに行った事がきっかけで、その年のクリスマスに私は妹と一緒に受洗することになりました。クリスチャンになっても、最初、私はあまり変わりませんでした。相変わらず、後ろ向きで否定的、親とも良い関係ではありませんでした。26歳で結婚して川崎に住み、夫の仕事は益々忙しくなり、私達の夫婦関係も良いものではありませんでした。息子が産まれてからも夫は忙しく、すれ違い続け、私は離婚を決意して実家に帰ったこともありました。しかし神様は私達の離婚を望んでおられないと知り、やり直す事に決めたのですが、私にとってその時が人生のどん底でした。その後、2度の病気、8ヶ月のつわり、空き巣などなど試練がやってきました。3年間もがき苦しんだ末、私に仕事が与えられ、先輩から勧められた自己啓発セミナーに参加しました。私はそこで、自分の大きな罪に気づかされたのです。両親を敬えと、モーセの十戒にあります。「完全な両親ならば」敬えとは言っていないのです。ところが私は親を敬うどころが許していませんでした。そして、もう一つ、私は夫にライバル心を持っている事に気が付かされました。そのために私は彼の良いところを認められず、否定ばかりしていました。夫婦関係が良くなるわけがありません。そんな情けない自分に気がつくと同時に、しかしそんな私でも「私の目には,あなたは高価で尊い」イザヤ43章4節と言って下さる神様の愛に気がつき、私は両親と夫に謝りました。母に電話で謝ったとき、電話の向こうで母は泣いていました。そして「一番大変な時にあなたを生み育ててしまって申し訳なかった。」と謝ってくれました。私も涙が止まりませんでした。 両親を受け入れられた私は、初めて自由になったのを感じました。鳥かごから飛び出した鳥の気分を味わいました。目の前にそそり立っていた壁が消え、両親は私の一番の理解者、協力者になってくれました。その後、私は自分を受け入れ、自分を否定する事はやめました。どんな自分でも神様は愛してくださっているんだ、私は私以上でも以下でもある必要がないと思うと力が沸いてくることが何度もありました。今は、毎日本当に幸せです。神様の憐れみにより、3年前のクリスマスには夫が受洗し、2年前のクリスマスには長男が受洗し、先日のイースターで次男が受洗しました。もし、今私たちに死が訪れたとしても、また天国で再会出来るんだと思うだけで、平安が与えられました。また、子どもたちの人生を神様にゆだねる事ができたのは、母として、なによりもうれしいことです。毎日、試練、困難は来ます。けれど希望は失われません。神様は私に、沢山の恵を与えて下さっているからです。私たちを愛する家族と同然に接し、いつも祈って下さる教会の皆さん、神様の存在を伝えてくれ、今も毎日私たちのために欠かさず祈ってくれている両親、実の妹なのにまるで私の姉のように私を助けてくれ、クリスチャンとしても共に成長してきた妹、そして弱く欠けだらけの私を支えくれる力強い夫。神様の恵みに心から感謝しています。 |