日曜礼拝(2015年11月29日)
日曜礼拝(2015年11月29日)
     アドベント(待降節)第一日曜    2015.11.29

        「救い主誕生の予告」 ルカ1:26〜38

 T導入部
 おはようございます。11月の第五日曜日を迎えました。今日も愛する皆さんと共に礼拝をささげることができますことを感謝いたします。
 今日は待降節(アドベント)第一日曜日です。ろうそくに一本火がともりました。4本火がともるとクリスマスを迎えます。
 昨日は、小松文彦兄と寺田かすみさんの結婚式が、青葉台教会で行われました。午前9時半開始という早い時間帯で、私が今までに行った結婚式では最も朝早い結婚式でしたが、祝福された結婚式でした。式自体も45分以内と最短でしたが、何とか守られました。
文彦兄のご両親は、自分の事以上に数日前から緊張しておられ、昨日の結婚式が終わり一番ホットしておられることだと思います。ウェディングチームの方々やご協力下さった方々、結婚式に参列して下さった方々、お祈りでお支え下さった方々に感謝いたします。
 今週の土曜日は加藤春樹君の結婚式が行われます。こちらの結婚式は結婚式場で行われますので、式全体で20分の持ち時間です。時間との戦いですが、この結婚式を神様が豊かに祝福して下さいますようにお祈り下さい。
 さて、アドベント第一日曜日は、やはり受胎告知、マリアのお話しです。ルカによる福音書1章26節から38節を通して、「救い主誕生の予告」と題してお話ししたと思います。

 U本論部
 一、主が共におられることが前提
 聖書の主人公は、イエス・キリスト様です。歴史上世界的に聖人と言われる人は何人かいますが、生まれる前からその生涯が予告されていた人は、イエス・キリスト様以外には存在しません。クリスマスはイエス様の誕生を示すものですが、イエス様は、予告なしに突然人間の世界に来られたのではなくて、イエス様が生まれることは、何千年も前から聖書の中で詳しく預言されていたのです。イエス様がいつ頃、どこで生まれ、どのような生涯を送るのか、どのような死を迎えるのかなど、イエス様が生まれる何千年も前から旧約聖書に記されていたのです。
 このよう予告、預言の成就がマリアへの天使の来訪、受胎告知でした。開口一番天使ガブリエルはマリアに言います。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
この挨拶にマリアは戸惑います。突然のおめでとう、恵まれた方という言葉に、何のことだかわからないマリアは当然戸惑いました。恐れました。天使は、マリアの戸惑いを、不安を見逃しませんでした。だから、「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」と言いましたが、やはりマリアは戸惑い、不安を感じたことでしょう。さらに「あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。」との言葉には、何が何やらわからなくなりました。
 マリアは、ナザレの村で平凡に暮らして来たことでしょう。そして、平凡にヨセフという男性と婚約して、幸せな人生を夢見ていたことでしょう。この当時の婚約は結婚の意味があり、まだ一緒に住んでいませんでしたが、そのための準備をしていたでしょう。二人の新しい生活のために、いろいろ揃え、共に生活できる日を夢見ていたその矢先に、突然の天使の出現とその言葉に、さらに戸惑い、不安を感じたに違いないのです。
 天使は、「あなたは救い主を生む気がありますか?」「あなたの胎を救い主誕生に貸していただけませんか?」と尋ねたわけではありません。すでに、マリアが男の子を生むということが決定しているのです。マリアの知らない所で、関係のない所で、これからのマリアの人生は、夢にも思わない大混乱の人生、波乱万丈の人生が待っているということなのです。
 マリアの人生は、このように自分が全く予想もしなかった、想定外の方向に展開していく人生を天使ガブリエルは携えてきたのでした。
 私たちの人生も、自分が全く予想もしなかった想定外の人生、思いがけない人生が突然に訪れるかも知れません。けれども、神様はマリアを救い主の母として選び、用いたように、私たちも困難を経験する中に、私たちを整え、神様の働きのために、人々のために私たちを用いて下さるのです。

 二、苦しみは恵みに変わる
 救い主の予告は、旧約聖書に記されていることですが、ユダヤ人が待ち望んでいた事柄でした。マリア自身も救い主誕生を願っていたでしょう。天使ガブリエルは、マリアが男の子を生むと言ったその子のことを、「その子は偉大な人となり、いと高き子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブを治め、その支配は終わることがない。」と説明したのです。
 全イスラエルが待ち望む救い主、偉大なるお方を自分が生む。そのような神様のご計画に自分自身の人生がかかっていることをマリアは知ったのです。それは、「おめでとう。恵まれた方」というような事で済まされない現実の中にマリアは立たされたのです。けれども、神様から遣わされた天使ガブリエルは、ふざけて、冗談で、皮肉で、マリアに対して、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と言ったのではありません。大真面目に、神様のお心を伝えたのです。マリアにとっては、とんでもない波乱の人生突入の話しですが、神様にとっては、人類の救いの計画、救い主誕生は大切な神様のご計画でした。
 マリアは言います。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 今語られた内容が、私の実に起こることは不可能なことです。私は、子供を産む環境にはないということです。マリアにとって、「おめでとう、恵まれた方。」と言われながらも、何か不吉な、何ともすっきりしない、もやもやとした思い、不安、心配がマリアの心を支配したのではないでしょうか。おめでとうどころか、苦難が待ち受けていると予想されそうな天使ガブリエルの言葉でした。
 私たちは、苦しいことや悲しいことは避けたいと思います。当然の事です。けれども、苦しみや悲しみがあるということは、必ずしも不幸を意味するものではありません。天使ガブリエルの語った言葉は、アリア自身が願ったような人生の展開を予想させません。その反対です。けれども、自分の思い通りの人生が展開しないということは、必ずしも不幸せを意味するものでもないと思うのです。私たちは、人生の中で苦しいことや悲しいこと、辛いこと、がっかりすることを経験します。そのような不幸と思えるような経験をしたとしても、それは不幸な生涯を送る、不幸な一生で終わるということではありません。
 最初に、天使ガブリエルは言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と。マリアは、このような人生を送るという約束が先行しているのです。

 三、不可能が可能に変わる
マリアは不可能だと思いました。しかし、そのように思っているマリアに、「神にできないことは何一つない。」と天使ガブリエルは宣言したのです。マリアの懐妊は、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」という神様ご自身の働き、力によるものなのです。
 マリアは自分に告げられた内容が、不可能だと思いました。自分の状況、立場から考えたら、身ごもり、男の子を生むことは不可能でした。けれども、この不可能と思われることの中に、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」という神様の言葉が語られているのです。人間的に整っているから可能です。条件の全てが整っているから神様の計画が可能だというのではありません。条件は全く整っていなくても、人間的に考えて、どうにもならないという状態でも、神様の計画は可能なのです。「神にできないことは何一つない。」のです。
 マリアにとっては、初めての懐妊、出産の話しです。普通の妊娠でも、これから子どもを産むという女性は、不安がいっぱいでしょう。今、「コウノドリ」というテレビドラマがあります。産婦人科を舞台にしたドラマです。妊婦とその家族をテーマにドラマが展開していきます。主人公は鴻鳥(こうのとり)サクラという人物で、産婦人科医で、謎のジャズピアニストでもあります。温厚な性格で、冷静な判断力を持つ。また可能である限り患者の希望を第一に優先する。児童養護施設で育ったという過去を持っています。
 女性の出産には、いろいろな課題や生き方、悲しみや苦しみがあることを毎回ドラマで発信しているように思います。
 マリアは、その前の段階。自分の懐妊が神様ご自身によるという世界初、世界でただ一人、この事柄を背負っていかなければならないとマリアは感じたのかも知れません。けれども、神様は、天使ガブリエルを通して、不妊の女と言われていたエリサベトも、身ごもっていることを知らせます。マリアは一人じゃない。エリサベトもヨセフもいる。そして何よりも、誰よりも、「主があなたと共におられる」とすでに語られているのです。
 マリアは、「神にできないことは何一つない。」という全能の神様が、自分を通して神様のみ業をなさろうとしていることを受け止め、神様を信じて語るのです。みなさんと共に38節を共に読みましょう。「マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。」
 マリアは自分に可能性があるからこう言ったのではありません。全てが整い、可能性が見えたからそう言ったのでもありません。マリアの前途は、不安と心配、とんでもないことが待ち受けていることが予想される中においてもなお、自分が納得したというのでもなく、全能なる神様、不可能を可能にする神様、マリアを通して神様のみ業をなさると語られる神様をただ信じて、お委ねして「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と応答することができたのです。
 私たちも、自分に、将来に可能性があるから従うというのではなく、現実がどんなに暗くても、先が見えなくても、私たちを救うためにイエス様を十字架に釘づけにするほど、私たちを大切にし、愛された神様をどこまでも信じて歩ませていただきたいと思うのです。

 V結論部
 私たちは、マリアのこの信仰のゆえに、毎週の礼拝で私たちは信仰告白をします。使徒信条の中に、「主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ」とあり、私たちは、このマリアの信仰を毎週、私たちの信仰として告白しているのです。
 マリヤの苦悩、将来に対する不安や心配、思いもかけない出来事に翻弄(ほんろう)されそうな自分をなお愛し、認め、共にいて、支えて下さる神様を見つめ、ただ、神様をよりどころとすることにより、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」という信仰が与えられたのです。
 救い主誕生の予告は、マリアにとって直接に天使を通して語られる前までは、ユダヤ人として喜びであり希望でした。けれども、その予告が、その預言が他の誰でもない自分のうちに臨むと宣言されて、恐れ、戸惑いましたが、神様の守りと支えにより、信仰も神様から与えられて応答の告白ができたのだと思うのです。
 私たちも、この週、いろいろな出来事の中に不可能としか思えない事柄に遭遇するかも知れません。でも、大丈夫。恐れても戸惑ってもいいのです。イエス様がいつもあなたのそばにいるのです。イエス様が共におられることを感じながら、信じて、この週も歩ませていただきましょう。
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